武蔵村山第九小学校公演
ほぼ舞台が組みあがっている様子です。
こちらは前日の仕込みの最後の状態です。
朝の作業の様子です。宇野さん、河本さん、遊んでいるわけではありません・・・・
学校が都内の学校だったので宿はなしで、朝早くみんなを拾いつつ学校へ来ました。
前説のネタは前日の仕込みの中で見つけ帰りの車の中で確認。
朝の移動の車の中で稽古。
学芸会があるということで学芸会をネタにトークつくりました。
舞台が上がり、照明のシュートも終わってリハーサルです。
まずは出来立てほやほやの前説を確認。
トークの尺の確認や内容についてここで最終決定をします。
前説ではいかに観客と関われるのかがポイントです。
そして、宮澤賢治の世界が自分たちとまるで別の世界の話ではなく、観客のみなさんの生活の延長線上にある世界だと感じてもらえるようにすることが本来の目的です。
前説のリハーサルが終わったら、照明と道具の転換のチェックです。
舞台の条件は毎回異なるので、照明もそれに合わせて、光量や使い方が変わります。
そのためにチェックがかかせないのです。
勿論、道具もそうです。
そのままカーテンコールのリハーサルへ。
カーテンコールでは、この演劇が、役者だけで成り立っているわけではないことを伝えます。音響、照明といったスタッフの力も加わって、アンサンブルで舞台が出来上がっていることを楽しく伝えます。
朝の短い時間の中で、作業は一杯です。
大急ぎで、でも確認するところは落ち着いてしっかりと。
今回は、朝、電車が遅れてしまい、吉谷さんがその遅れに巻き込まれて到着が遅れてしまうというハプニングがありましたが、リハーサル前には無事到着してくれました。
学校の体育館は外側をまだ工事中でしたが、工事も公演中は気を遣っていただいて中断してくれていたようです。
公演はみんなの協力のおかげで無事に終演。
いつものことですが児童の歓声はすごかった。
セロ弾きのゴーシュの演奏会のシーン。
ゴーシュが一人演奏をしていると、客席から「ベートーヴェンだ。」
という声がかかりました。
言われてみれば燕尾を着てるし、カツラもそんな風に見えなくもない。
このお話は、ベートーヴェンの第六交響曲「田園」がとても重要です。
「田園」はそのまま田園風景を音楽でスケッチしたものと言ってもいいかもしれません。
音符の、楽譜の中にだけ音楽があると思っているゴーシュが、生活の中に音楽が溢れていることを、動物たちとの交流の中で発見するのです。
勿論、これだけではありませんが、そういう意味でも「田園」という曲は大事です。
ぱれっとのセロ弾きのゴーシュではゴーシュの稽古からの帰り道、演奏会で認めらるまで暗い道を帰ります。周りを見ようともしない。
演奏会の後の帰り道では星空にします。
そしてゴーシュは初めて、自分の暮らしている世界をしっかりと見るのです。
それは平凡な山や田畑の広がる光景ですが、どこまでも美しく、すべてのものが生きていることを感じ、その中に立って生きている自分を感じる。
今までなぜ見なかったのだろう。こんな世界に生きていることになぜ気づかなかったのだろう。そう思い家路を歩くのです。
片付けもスムーズに終了です。
あの舞台のすべてがこの一台に収まります。
もちろん役者も
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