語り絵本その26「走れメロス」
劇団ぱれっと語り動画その26は太宰治原作「走れメロス」です。
このお話は、太宰治が、シラーの詩と古い伝説を基にして書いたものだそうです。
ピタゴラス派という宗派の団結の固さを示すための逸話として発生したものが伝説になり、
地中海、中東の世界で広まった伝説だそうです。
それから、この話にまつわるエピソードとして、太宰治が熱海で仕事をしている時に、
なかなか帰って来ない太宰を気にして(あるいはお金がなくなり太宰がお金を頼んでか)
檀一雄が、太宰の奥さんに頼まれて
旅費(交通費や宿代)を持って太宰を尋ねることになります。
ところが太宰は、そのお金で檀を飲みにつれ出し、
檀が預かって来たお金を全部使ってしまいます。
お金が無くなった太宰は檀を説得して、
檀に旅館に人質として残ってもらって、
東京の井伏鱒二にお金を借りに出かけてしまいます。
ところが数日たっても太宰が宿に帰って来ないので、
檀は宿に頼み待ってもらって東京へ様子を見に行きます。
すると、太宰は、井伏と呑気に将棋をさしていた・・・・・
太宰は、井伏にお金のことを言い出せずにいたのです。
檀が怒ろうとしたら、太宰は、
「待つ身がつらいかね、待たせる身がつらいかね。」
と言ったそうです。
面白い話です。
走れメロスの最後は、
裸になっていることを教えられて、あらためて自分の姿に気づいて赤面して終わります。
なんとも照れくさいという終わり方です。
気が付いたら自分をさらけ出してしまっていた・・・・・・・
何とも恥ずかしいとこだ。
と思って見たところで、現実の自分はそうなれるだろうか?
そう思うと書いたことと現実の違いは、自分を赤面させる・・・・
とも感じられます。
二重三重に恥ずかしさというものが感じられてなんとも面白くこそばゆさを感じます。
今回読んでいて気になったのは、
疲れて動けなくなり、諦めかけた時の逡巡です。
長い逡巡です。状況から言い訳をしているうちに、
それまで大切にしていたものを否定するように思考していってしまいます。
そうして人の有様を、いつのまにかすり替えてしまうのです。
「愛と信実の血だけで動いているこの心臓を見せてやりたい。」
と語っていたのが、
「正義だの、信実だの、愛だの、考えてみればくだらない。
人を殺して自分が生きる。
それが人間世界の定法ではなかったか。」
となってしまいます。
そうして、
「ああ、何もかもばかばかしい。
私は醜い裏切り者だ。どうとも勝手にするが良い。」
というところまで行きます。
でもそこから、
たまたま、清水を飲んでそこから脱することができるのです。
再び走りだすメロスは、
「先刻の、あの悪魔のささやきは、あれは夢だ。悪い夢だ。忘れてしまえ。
五臓が疲れている時は、ふいとあんな夢を見るものだ。・・・・・」
と言うのです。
この長い逡巡の言葉が、
僕には、まるで今のこの社会のことを言っているように感じられてなりませんでした。
ドラマは救いを持って終わります。
王様の心も動き改心します。
本心はどうあれ、ここにあるのは人の心に絶望しているのではなく、
希望を語っている。
このことがとても素敵な気がします。
現実はいつでも厳しいものなのかもしれません。
でもいつまでも希望を持って、前を向いて進んでいたい。
走らずとも歩いていたいものだと思うのです。
原作・太宰治
語り・佐瀬佳明
画・Romi
音楽・宇野桃子
制作・劇団ぱれっと
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