ゴーシュの家
セロ弾きのゴーシュは壊れた水車小屋に住んでいます。
さて、この家は借りていたのでしょうか?
ゴーシュのセロは古いセロで、あまり状態もよくないセロでした。
そのように宮澤賢治は描いています。
本の中からうかがい知れるゴーシュの生活は質素です。
家は壊れた水車小屋なので、水車が回ることで使うものと言えば碾き臼かな?
でも水車は壊れていて動かない。
そんな道具がある小屋では、畳はないのだろう。
窓は一つ。鍵がかかる窓。それから水瓶が一つ。
ゴーシュはお酒は飲みません。飲むのは水です。
食器棚がひとつ。そこにはパンが入っています。
机がひとつ。
譜面台が一つ。
勿論電気なんてないだろうからランプが一つ。
小屋の外には、小さな畑。
そこでトマトや野菜を作っています。
ゴーシュは一応町の楽団に所属しています。
仕事は無声映画の楽士ということになっています。
東京の楽士なら80円からの給料をもらえる仕事です。
昭和5年の平均月収は86円。大正時代の方がもう少し多い114円。
大工の一日が2.9円、日雇いが一日2.1円くらいの時代。
でもきっとゴーシュは80円なんてもらってない。
盛岡あたりの映画館の楽士の給料はいくらだったのだろう?
そもそも、ゴーシュは一人前に給料を貰えていたのだろうか?
水車小屋はきっと借りているんだろうけれど家賃は払っているのだろうか?
街はずれの周りに家なんかない、水車小屋でゴーシュは周りを気にすることもなくセロの練習ができます。だから、この家を選んだのかもしれません。
おんぼろのセロは、先輩にもらったのでしょうか?
それとも、どうしても欲しくて、借金をして買ったのでしょうか?
そもそも、ゴーシュはなぜセロを演奏するようになったのでしょうか?
戦前、映画は本当に盛んだったそうです。
ほんとうに庶民の娯楽だったそうです。
活弁士によって値段は1円50銭から、50銭まで入場料に開きがあったそうです。
でもまあ基本は散髪料と一緒だったらしい。
ゴーシュも子供の時から観に行ったことがあったのかもしれない。
それともどこかの演奏会に潜り込む機会があってセロを見て、演奏を聞く機会があったのかもしれない。
ちょっと前まで、バンドにはバンド坊やというのがあって、そこでバンドについて、譜面を配ったり、バンドメンバーの世話をしたりしながら楽器を教わりバンドマンになる。というのがありました。これはマンモスキャバレーなんかで歌謡ショーがたくさんあった時代の話。今時はバンド坊やなんていないみたいです。一度知り合いから、バンド坊やみたいなことしてほしいと頼まれたことがあります。結局やらなかったけど。
ゴーシュの時代も、楽士の手伝いから入って、先輩楽士に楽器の手ほどきを受けて、楽士になった人もいたらしい。
ゴーシュはどんな風にセロを勉強してきたんだろう?
想像はどこまでもつきません。
一生懸命だから周りが見えない。
音楽ってなんだろう?演奏するってなんだろう?
生きるってなんだろう?
ゴーシュはそんなことを考える余裕なんかありません。
上手くいかないゴーシュは一人、世界から背を向けて、自分の心にも向き合わず、ただわけもわからず練習する。
そんな追い詰められた心の前に、そんなゴーシュの前に、ゴーシュの家の周りにいる動物たちがやってきて、その心を解きほぐしていく。
そんなゴーシュの住んでいる壊れた水車小屋。
壁に空いたネズミの出入り口。
ぎーぎー音を立てるドア。
カッコウがとまってしまう梁。
水を飲むための柄杓。
窓から見える田畑に山脈。
星空。
毎日通うあぜ道。
あぜ道に生えた草花。
川のせせらぎ。
空に空気。
大きな宇宙の真ん中にたつゴーシュ。
音楽に溢れた世界の真ん中にいるのに気づかなかったゴーシュが、そのことに気づいたとき、世界は、人生はどんなに美しく見えることだろう。
そして一人ではなくどれだけ多くの力によって支えられているか、全てのものが自分と共にあることに気づくことができた時、どんな思いがゴーシュの心を満たすのだろう。
セロ弾きのゴーシュ。面白い芝居です。
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