「にんじん」の話

先日の稽古で久しぶりに「にんじん」を読みました。

やはりいい本です。

また上演したくなりました。

ブログに、「にんじん」が、ぱれっとのレパートリーになったいきさつは簡単に書きました。

ここでは「にんじん」という台本についてもう少し書きたいと思います。

まずは、超簡単な前知識。

この「にんじん」は、小説「にんじん」を書いたジュール・ルナール自身が、戯曲として書いたものを和訳したものが原本です。

にんじんはジュール・ルナールの自伝小説と言われています。

にんじんというのは髪の毛の色から母親がつけたあだ名です。

ほんとうはフランソワという名前です。

そのにんじん、フランソワが母親にいじめられる姿を描いた小説です。

因みにフランソワというのは父親の名前です。

1864年に生まれたジュール・ルナールが1894年に小説「にんじん」を発表します。

20世紀ではなく19世紀から20世紀初めのフランス人です。

でも本の中身は少しも古くありません。

いつの時代も変わらないだろう家族の話です。

1897年に父親が猟銃自殺しているのですが、戯曲が書かれたのはその後だったと思います。

また、1909年だったか母親は井戸に落ちて謎の死を遂げています。

自殺なのか事故なのか不明です。

ジュール・ルナール自身はその翌年1910年に亡くなっています。

さて

戯曲は、1幕で、70分くらい。

登場人物は

にんじん(フランソワ)

ルピック氏  にんじんの父親

ルピック夫人 にんじんの母親

アンネット  ルピック家に新しく雇われた女中

の4人です。


舞台は、ルピック家の中庭。

中央上手よりに一本の立木があります。立木の前には腰掛。

下手にルピック家があり、中央の階段を登ると玄関の入り口。

家の左側に、鎧戸のついた窓があり、右側には釣瓶井戸があります。

下手には納屋。

納屋の入り口の前に丸太があります。

そんな舞台です。

幕開きでにんじんはルピック氏と狩りに行く約束をします。

ルピック氏が家に入った後、新しい女中のアンネットがやってきます。

アンネットとにんじんの会話の中で、にんじんの生活が語られていきます。


にんじん 「君には、女中さんにとっては、どっちかと言えばいい人だよ。娘のように可愛       がることもあるだろうし、まあ時によると馬鹿者扱いすることもあるだろうがね。家の旦那にとって、奥さんはあれどもなきがごとしさ。お母さんは兄貴さ。お母さんは兄貴が好きなんだ。」

アンネット「あなたは?」

にんじん「・・・・やっぱし、お母さんさ。」

アンネット「奥さんはあなたが好き?」

にんじん「・・・・・兄貴とぼくとは性格が違うからね。」

アンネット「ああたのこと好きじゃないんでしょう、お母さん」

にんじん「どうだかね。お母さんは僕が大嫌いなんだと言う人もあるし、とてもかわいがっているんだが、顔に出さないだけだという人もある。」

アンネット「でも、それはあなたが一番よく知ってるんじゃないの?」

にんじん「トランプの時、奥さん自分の手を隠すとなるとうまく隠すぞ。」


アンネットとの会話を通してにんじんの生活と母親との関係が見えてきたところに、

母親が現れます。

堅くなり、怯えるにんじん。

そのにんじんに、狩りに行ってはいけないとルピック夫人は言いつけます。

にんじんがルピック氏にどう言い訳すればいいのか聞くと

「気が変わったと言えばいいでしょう。」

と言われます。

そして、母親が去ったあとに現れたルピック氏に

気が変わったといいます。

当然ルピック氏は不機嫌になり、その場を去ります。

アンネットはその様子を見ていてなぜ本当のことを言わないのかにんじんに尋ねます。

にんじんは


「ぼくが何を思っているかわかる?アンネット。ぶたれたくないのさ。うちの旦那は無口で小言も言わないかわりにぶちはしない。でも、奥さんときたら、ちょっとしたことで!」

「いいかい、アンネット。ぼくが奥さんのことを言いつけて、旦那さんがぼくの味方をしたとするよ。それでぼくのことで奥さんを叱ったとするよ。それで奥さんが、その仕返しに、どこかの隅っこで、ぼくを咎めないと思うかい?」


そう答えるのです。

そこへ再びルピック氏が、狩りの犬を探しにきます。

にんじんが犬を犬小屋に入れていたのです。

にんじんの不可解な行動にルピック氏は怒ります。

その様子を見ていたアンネットがルピック氏にほんとうのことを言ってしまいます。

それから、にんじんとルピック氏は話をするのです。

にんじんは家を出たいと訴えます。

ルピック氏はにんじんの打ち明け話を聞き、にんじんが実際に自殺しようとした話と納屋にぶら下がった縄をみてようやくにんじんの置かれている状況について真剣になります。


にんじん「だって、ここにいたってしょうがないよ!ぼくはお母さんが好きじゃないんだから!」

ルピック氏「俺が母さんを好きだと思っているのか!」


会話の中でルピック氏はにんじんに口を滑らせてしまいます。

お互いの心の中を知った二人は打ち解けていきます。


ルピック氏「考えてみろ、おまえが今言った、間違ったことがないだけじゃ、いい家庭はつくれないんだ。」

にんじん「そのうえ何がいるんだろう?愛情って、あれ?」

ルピック氏「おい、おまえはその言葉の意味を本当にわかっていってるのか?」

にんじん「そういや、そうかな。ぼくの言いたいのは・・・・・」

ルピック氏「なんだ、うん?・・・いいか、家庭にとってなくてはならんものは、特になくてはならんものは、気が合うってことだ。心と心が通い合うということだ。」

にんじん「なるほど。感情の融和だね。」


そして会話は進んでいき母親の話になります。

にんじんが、くそばばあと叫んだあと・・・・


ルピック氏「おい、おまえの母さんなんだぞ!」

にんじん「もちろん母さんさ。それがなんだい、ぼくを可愛がってくれるかくれないかが、大事なことなんじゃないか。可愛がってくれないんだったら、母親だなんて言ったってなんの意味もありゃしない。愛情がなけりゃ、名前ばかりあったって、なんにもなりゃしないよ。母親というのは、いいママのことをいうんだ。父親というのは、いいパパのことを言うんだ。そうでなければ、なんでもありゃしない。そんなもの。」

ルピック氏「そりゃ、そうだ。」

にんじん「だから、パパがぼくのお父さんだから好きなんじゃない。ただ父親になるくらいのことなら、誰だってなれる。そんなことは誰だって知っているとおりだ。パパが好きなのは・・・・・。」

ルピック氏「なぜだ?・・・・・難しいか?」

にんじん「・・・・ていうのは、・・・・・今日、二人で仲良く話したからなのさ。ぼくの言うことを聞いてくれたし、返事はしてくれたし、それに父親として、別に威張らないんだもの。」


こうして会話は続くのですが、母親の心の話になります。


ルピック氏「・・・・母さんだって、幸せじゃないんだ。」

にんじん「ええ?お母さんが幸せじゃないんだって?」

ルピック氏「そう簡単にいくもんか。」

にんじん「ぼくをぶっていて、それで愉快じゃないの?」

ルピック氏「ああ!・・・・母さんは、おまえに好かれたいんだよ。」

にんじん「ぼくに?パパにさ。そうだよ。」

ルピック氏「俺にはもう諦めている。お前にだけだよ。」

にんじん「ぼくに好きになってもらいたいんだって?わからないなあ!」

ルピック氏「わからないのか、人に好かれないという苦しみが?」


ルピック氏の言葉は矛盾に満ちています。

真剣に考えるにんじんを見てルピック氏は自分自身の態度について、行動について考えます。自分の思った通りではなかったから、無視して、打ち解けず、同情もせず、つらく当たればあたるほど、夫人はにんじんにつらく当たっていた・・・・

ルピック氏はそれ以上考えることを辞めてしまいます。

そして泣いているにんじんに、そんなに悲しいなら母さんを好きになってみろと言うのです。

にんじんは母親と話をしようとしますができません。

でも母親の目に悲しさを見つけます。

ルピック氏とにんじんの会話は、二人の和解の会話ですが、ここの話を通して見えてくるのは母親の寂しさ、悲しみです。このドラマは母親のドラマと言っていいと思います。

芝居の最後の台詞は


にんじん「パパはひとりじゃ寂しいだろう?ええ?ぼくがいなくなったら、暮らしていけないよね?(ルピック氏は答えない)よし、ぼく、決心した。ぼくはパパを一人にしないよ。ぼく、家にいるよ。」

  ルピック氏は家の中に入る。にんじんはベンチに座る。


ルピック氏はなぜ、にんじんの問いに答えないのだろう?

岡橋さんは、ルピック氏にとってこの会話は日常のなかのひとつで、この時点で答える必要はなくなっていて、もう次のことに頭が動いているからだと言いました。

リアルな日常とはそういうものだ。というのです。とても大事なことを流すように生きている日常の自然な姿なのだ。冷静に人というものを観察してきた結果だという意見でした。


ぼくにはそうはとらえないずに、にんじん、フランソワの言葉をしっかり受け止めていいと思っています。

そして、ここから僕の勝手な想像になります。

作者ジュール・ルナールが、死んでしまった父親との心の中での交流のための戯曲だったのではないかと思うのです。

父親が亡くなったあと、中庭に立って、子供の頃のことを回想してみると。

いつの間にか子ども時代に帰っている。にんじんに戻っているのです。

あの時のまま。そこへ亡くなった父親が、あの時のまま現れる。

そして、二人で話和解する。

最後のにんじんの言葉を聞いて父親は去る。

にんじんはあの時のままのベンチに座り、ささやかな幸せを感じる。

それは終わりではなく始まりで、これからの希望を抱く姿というドラマです。


これは勝手なぼくの想像です。

でも、

ベンチに座ったにんじんの目にはそれでも希望を失っていないという形にしたい。

希望を失わないにんじんの顔。

どんな顔になるのか、稽古している時は、ほんとうにそのラストのにんじんの顔が全てを表すと考えて稽古していたのを思い出しました。

ぱれっとの初演の時は

にんじん 宇野桃子

ルピック氏 佐瀬佳明

ルピック夫人 牧野こずえ

アンネット 河本愛弓

でした。

もうずいぶん公演していませんが、また再演したいと考えています。




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