フルートレッスン・ヤノーシュさんの話
フルートレッスンに行ってきました。もちろんチラシの先生ではありません。
チラシの人物はヤノーシュ・バーリントンさん。
実は、僕のフルートの先生の師匠にあたる人です。
山梨でコンサートがあったそうですがその前にハンガリー大使館でサロンコンサートをしたそうです。
ほんとうはツアーの中に日本は入っていなかったらしいです。
以前あったときには、日本で演奏することにあまり興味を感じなかったらしいのです。
レッスンの中で、いつももことですが、身体の使い方、唇の筋肉の意識の仕方、方法についてに多くの時間をかけて教えていただくのですが、そういったレッスンは日本ではあまりおこなわれいないそうです。
特に唇のひき方が日本は独特の形になっているそうです。
ヤノーシュさんもそうですが、多くのヨーロッパのフルーティストの方々からは、日本のフルート指導の仕方は、よくないという意見が多いそうです。
あるヨーロッパのフルートの先生は、30年言い続けているが、日本はちっとも変わらない。
そう言っているそうです。
日本のフルーティストの寿命はだいたい、40代半ばまでで終わってしまうそうですが、ヨーロッパでは60代くらいまで現役でやれるそうで、その違いは演奏方法と訓練の仕方に現れるそうです。
この違いは、そもそも文化の違いから始まっていることだというのが僕の先生の意見でした。ドイツ語の教本を翻訳したり、通訳をしたりして感じることは、たとえ言葉が正しく伝えられたとしても感じ方はそれぞれに違い、言葉の意味、内容の伝わり方が違い、きちんと伝えることの難しさを感じるそうです。
また、翻訳されたものを読んで、確かに、言葉はその通りでもニュアンスが微妙に違うことも多く、これは文化の違いからきていることが多いと感じるそうです。
だんだん、日本人のフルーティストも海外へ勉強しに出るようになり、多少変化がみられるそうですが、日本では、クラシック音楽のフルーティストのプロとして仕事にしていくのはとてもたいへんだそうで、昔からの師弟関係などのつながりが強く、残念ながら、世界の流れからは外れてしまっているのが現実だそうです。
話は尽きませんでした。レッスンをする中で、改めて、今の自分、それからこの社会、国、文化、といったことについて考えることになりました。
ヨーロッパの先生は、日本人はほんとうにコピーをすることは上手だけれども、それだけだ。ということを口を揃えていうそうです。
そして、何故自分で考えないのか。という話になるそうです。
これは、フルートだけの話ではありません。
テクニックも大事だけれどもそのテクニックを必要とする、表現しなければならない様々な感情をどうやって生み出していくのか。
世の中について、人生について、しっかり思索できることが大切なのだ。
それは表現をする者にとって、とても大切なことです。
表現者というのは生きる者すべてなのかなとも思います。
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