関さんのこと
関さん。とは関きよしさんのことです。
池袋小劇場の演出家でした。
今は池袋小劇場もなく、関さんも故人となっています。
池袋小劇場は関さんと、関さんが講師をしていた舞台芸術学院の教え子によって作られた劇団でした。僕は、山内栄治さんの紹介で、「井上印☆場面缶詰」という作品に出演させていただいたことからお付き合いが始まり、出演だけではなく、照明の仕込み、調光と様々にかかわることになり、池袋小劇場の関さんの最後の作品「暗い火花」にも出演させていただくお付き合いをさせていただきました。
関さんの稽古はほんとうに勉強になりました。役者で参加させていただいたときは、これまでの経験と知識の勉強不足を思い知らされ、ついていくのに必死でした、いや最後まで必死だったかな。
稽古での緊張感は、一体昼なのか、夜なのかわからない時間感覚となってしまいます。
1970年代からあった稽古場には、様々な演劇人の思いが染みついているようで、そんな空気もまた空間を独特の空気にしていたかもしれません。
池袋小劇場を閉めるときに、最後にに関さんが、
「新劇をずっとまじめにやってきた。」
そう言った時の顔は忘れられません。
僕は弟子ではありませんが、すぐそばでその演出をみる機会に恵まれました。
役者として参加しているときは実践なので、自分たちが稽古をしていることをやはり客観的にみて考えることができません。
関さんの問いかけの答えを探すため考えるのですが、文字通り五里霧中といった感じで、無我夢中で歩き続けているようなものです。
関さんの稽古は考えることを求め、それを表現としてしっかりと体現することを要求されるのですが、まあどこであったとしても当たり前のことではあるのですが、その深読みと理解にたいしての考察は際限がないようで、いつもうなることばかりでした。
これがスタッフとなるとちょっと違ってきます。
スタッフとして立稽古くらいから参加するのですが、稽古を関さんの側でみることができます。すると、役者を外からみることができる。
これも勉強になりました。役者のときにはできなかった客観性をてにすることができたのです。僕は、このおかげで、ぼくなりに、関さんの表現を考えることができました。
ほんとうに運が良かったと思っています。
関さんからは本当にいろいろなものを吸収させていただきました。
終戦の年に19歳だった関さんは文字通り戦後の新劇をしっかりと歩いてきた方です。
関さんがみつめてきた戦後と演劇、新劇というべきかな。
最後の作品となってしまったのは、木下順二作「暗い火花」
1950年の実験劇です。
ほとんど上演されることのなかった作品です。
この稽古の中で、松川事件のことをしきりに話ていた関さん。
りんごの唄が嫌いだと言った関さん。
なぜこの作品を取り上げたのか、関さんがほんとうに伝えたかったことは何だったのか。
今となっては聞くことはできませんが、公演した当時より、今現在の社会を関さんは見ていたような気がします。
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