稽古のこと
稽古について。
台本を読むとき、本全体で何を伝えるのか。ドラマの中の劇的なところはどこなのか。
何度も、公演しながら、それでも問い続けることをしています。
完成というものはなく、常にその時が全てですが、同じものは二つとないと思っています。
時間が違えば、場所も違う。心の有様は常に同じではない。
動いていく心の中で何が本当なのか。役の心の中の風景は常に動いています。
心が自由になるために、様々に稽古で試す。公演したあとで反省して、どう表現するのがよいか考える。
もちろん、芝居はお客様の受け取る心も大切。
その時その時でお客様は違うのです。それにひとりひとり違います。
同じ人などいないのです。
その違った人たちの心の中に、活き活きとした想像の世界を送り届けるためにどうしたらいいのか?
芝居の稽古は、それぞれの役者が活き活きと想像の世界を生きられるようにすることなのかな。
稽古では、台詞をどう理解しているのか、どのように捕らえて考えているのか。
日常では、無意識に話していること、行動していることを、考えます。
考えたあとで実際に立ってみる時には、その考えたことを頭から忘れ、実際の演技空間に身体を任せてどのように心が動くのかを試していきます。
考えたことを忘れると書きましたが、もちろん全部忘れるなんてことはできない。
でも、自分のイメージしたことにこだわらずに、動いてみることが大切だと思っています。
頭で考えていたこととは違うことが発見できるかもしれません。
また、頭の中で考えていたことが本当に正しいのか?
肉体はどう感じるのか?
相手役によっても、やはり変わってくるもの。
それこそ相手役の体調によっても、微妙にずれてしまった位置関係でも・・・・
全く同じなどということはない。
同じでないから演劇はいいのだと思うのです。
毎回同じならそれは映像の世界に任せておけばいいと思っています。
演劇はライブで、常に生きているもので、毎日が違うものなのだと思っています。
観客に届けるメッセージも伝える感動も、毎回目指しているものは同じです。
ですが、観客と共に創り上げる舞台は、毎回が初日で千穐楽。
そのために、稽古をしています。
形を覚えるためではありません。
台詞を覚えるのではなく、台詞を自分の言葉にするために稽古するのです。
自分の言葉にするといっても、それは創り上げた役としての自分の言葉にするという意味です。
それらしい形はいらない、その場を生きている役がみたいのです。
そしてそれが、表現として、観客の心に入っていくものがいいのです。
どんなにリアルだとしても観客に伝わらなくては、僕らの仕事は意味がありません。
観客と共に、演劇空間を創り上げるのです。
その為に、稽古しているのです。
心をリラックスさせて、ニュートラルにして、挑戦し続けています。
ぱれっとの稽古は続けてはしないようにしています。
それは、各自が持ち帰って考える時間を持つためです。
続けて稽古しているとどうしても、言われた形、あるいは、よしとされた形を追いかけてしまいます。また同じことを集中して繰り返すことで、形に慣れてしまいます。
日本の演劇、芸事の基本は繰り返して真似ることなのかもしれません、それにその方が、結果を早く出せるかもしれません。
ゴーシュも注文も、王子さまも、カンパネルラやジョバンニや、これまで様々な登場人物たちが、現れ、様々な役者が命を吹き込み、観客と共に、生きてきました。
また新しい命を吹き込むために稽古しています。
劇団ぱれっとの「セロ弾きのゴーシュ・注文の多い料理店」「星の王子さま」他にもいろいろ作ってきました。
どれもいい作品です。
日本中どこへでも行きます。どんなところでも素敵な劇場に変えます。
ぱれっとのお芝居ぜひ見てください。
最後は話が変わってしまいました。
次は大阪枚方の小学校へ行きます。
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